タイトル
2013年受賞 奨励賞 牧之段 学
概要
牧野段 写真
幼若期社会的経験依存性のオリゴデンドロサイト成熟及びミエリネーション


奈良県立医科大学医学部精神医学講座 
牧之段 学


緒言
ここ十年余りで、前頭前野機能に障害があるとされる発達障害に苦しむ患者は急増しており1,2、その原因として専門医受診患者数の増加などが上げられるが、依然として不明な点は多い。精神の形成は、遺伝、環境の双方の影響を受けるが、順応性、外向性、衝動性、柔軟性、記憶といった要素は、およそ50%が環境因によると報告されており3、興味深いことにそれらは注意欠如多動性障害や広汎性発達障害で害される諸症状である。注意欠如多動性障害や広汎性発達障害発症には、遺伝要因の強い関わりが示されているものの、前述の知見からその症状形成に環境因も少なからず関わっているのではないかと我々は考えた。近年、かつての年少者の砂場遊びや鬼ごっこの時間が、ひとりで行うテレビゲームや受験勉強などに充てられるようになるなど、こどもたちを取り巻く社会環境は以前と異なるものとなっており、幼少期の社会的経験の不足が前頭前野の正常な発達を障害し、発達障害を誘発あるいはその諸症状を修飾しているのではと考え、環境因の中でもとりわけ幼少期の社会的経験に注目した。

マウス前頭前野のミエリン形成・同部位依存性の行動は社会的経験に依存する。
マウスの離乳直後(生後21日目)より成体になるまで(生後50-65日)、通常ケージに1匹飼いされたマウス(隔離マウス)と同ケージに4匹で飼育されたマウス(標準マウス)、おもちゃ入りの大きなケージに8匹飼いされたマウス(エンリッチマウス)の3群につき、その前頭前野の発達を比較した。1匹飼いされたマウスの前頭前野では、標準マウスに比べミエリン形成が著明に障害されていたが、エンリッチマウスと標準マウスでは同程度のミエリン形成が認められた。ミエリンとはグリア細胞のひとつであるオリゴデンドロサイトが形成する、軸索を覆う絶縁体であり、その軸索を通る電気信号の伝達速度を促進する。マウスが1匹飼いされ社会的経験が不足し、前頭前野のミエリン形成が障害されると、同部位の神経細胞間伝達バランスが崩れたり、その先のシナプス形成が障害されるなどして、システム全体としてのインバランスが生ずるのではないかと考えられた(Figure 1)。そのため同部位依存性の行動を解析したところ、隔離マウスの社会性、ワーキングメモリ機能障害が確認された。これらの結果は、マウスは一匹飼いされると前頭前野のミエリン形成が不十分となり、神経細胞間のネットワークが障害され、同部位の機能障害が惹き起こされることを示している。

その社会的経験の効果には臨界期がある。
ピアノなどの楽器の練習を幼少期から始めた人とそれ以後から始めた人では脳内のミエリン形成具合が異なる、などの報告があるため4、この社会的経験の前頭前野ミエリン形成への効果は、時期特異的であるのかを調べた。前頭前野でオリゴデンドロサイトが著明に発達する生後21日目から生後35日目まで1匹飼いをし、その後4匹飼いをしたマウス(隔離-標準マウス)と、逆に生後21日目から生後35日目まで4匹飼いされ、以後1匹飼いされたマウス(標準-隔離マウス)と前述の標準マウス(生後21日より成体まで4匹飼い)の前頭前野ミエリン形成を比較したところ、標準-隔離マウスでは標準マウスと同程度のミエリン形成を認めたが、隔離-標準マウスでは低形成であった。また、社会性やワーキングメモリも隔離-標準マウスでのみ障害されていた。これらの結果から、社会的経験がマウス前頭前野のミエリン形成及び同部位依存性の行動に影響を与える期間は、オリゴデンドロサイトの発達が顕著である生後35日目までであることが明らかとなった。
これらはあくまで動物実験結果でしかないが、幼少期の適切な社会的経験不足及び前頭前野のミエリン形成不全が、注意欠如多動性障害や広汎性発達障害の病態に関与しているのではないかと考え、現在研究を進めている。
本研究は、ハーバード大学医学部ボストン小児病院Gabriel Corfasラボにて行われた。

参考文献 
   1. Wingate et al., MMWR Surveill Summ (2012) 
   2. Garfiled et al., Academic Pediatrics (2012)
   3. 長谷川寿一 長谷川眞理子, 進化と人間行動(2000)
   4. Bengtsson et al., Nature Neurosci (2005)