神経化学トピックス

神経化学のトピックを一般の方にもわかりやすくご紹介します。
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9. 養育(子育て)行動の開始に必要な細胞内シグナル伝達経路
  黒田公美(理化学研究所脳科学総合研究センター 親和性社会行動研究ユニット)
養育(子育て)行動の開始に必要な細胞内シグナル伝達経路
http://asb.brain.riken.jp/index_j.html

DOI 10.11481/topics9
登録日:2017年2月9日

生育環境が子の心身発達に大きな影響を与えることは古くから知られている。環境のなかでも、親(養育者)との関
係はもっとも重要な要素の一つである。親の不在、児童虐待やネグレクトなどの親子関係の問題は児のうつ病、社
会適応の障害、次世代への不適切養育の繰り返しなどのリスクを高める可能性がある。不適切養育を治療・予防す
るためには、まず哺乳類の親の養育本能を司る神経機構を明らかにしなければならない。
養育している時、親の脳では脳内養育行動中枢である視床下部内側視索前野(Medial Preoptic area, MPOA)のニ
ューロンが活動し、cFos やFosB といった転写因子が誘導されて転写活性が上昇すること(図1、黒い点が活性化ニ
ューロン)、ラットでこの部位を外科的に破壊すると養育行動が特異的に消失することが知られていた(マウスでも同
様の効果を確認している)1,2。さらにFosB ノックアウト(KO)マウスは養育行動に異常があることが報告されている
(図2)3。そこで、養育する時MPOA ニューロン内で発現が上昇する遺伝子を同定する目的で、新生仔を養育してい
るマウスとしていないマウスのMPOA を摘出し、DNA マイクロアレイ法を用いて遺伝子発現のパターンを比較した4。
さらに養育行動に応じた発現上昇をリアルタイムPCR法を用いて確認した。その結果、養育しているマウスのMPOA
において、c-Fos およびFosB のほかに、NGFI-B, SPRY1, Rad の発現上昇が認められた(図3)。これらはすべて、代表的なMAP キナーゼであるERK 系シグナル伝達への関与が報告されている分子であった。実際、養育行動をはじ
めると15 分ほどでMPOA にERK の活性化の指標であるリン酸化が顕著に増大した(図4A、B)。
ERK1/2 のリン酸化を特異的に阻害するSL327を投与してから仔と同居させると、はじめて仔に接する未交配マウ
スではレトリービング(仔集め)行動が障害され、同時にMPOA でのFosB 発現が抑制された(図4C、E)。しかし、
仔のにおいを嗅ぎに行く潜時(図D)や、経験を積んだ母マウスのレトリービング行動は影響を受けなかった(図4C、
E)。さらにレトリービングに障害のあるFosB KO マウスのMPOA では、SPRY1 とRad の発現が減少していた(リ
アルタイムPCR 法、図4F)。以上の結果より、養育を学習する過程には、ERK-FosB シグナル伝達系が重要である
ことが示唆された。ERK シグナル伝達系は恐怖条件づけや水迷路学習など、記憶・学習とそれに伴うシナプス可塑
性に重要な役割を果たすことが知られている。SPRY1, Rad は図3のシグナル伝達経路にフィードバック制御を行う
ほか、Rad はアクチン系細胞骨格を制御し、シナプス形態変化をおこすことが示唆されている。従って、養育は本能
であるとはいえ、実際に上手に養育することができるようになるためには、「経験」すなわちシナプス可塑性を伴う学
習過程が必要であると考えられた4。
養育の上達に関わる細胞内シグナル伝達機構が一般の記憶・学習と同じであること、またその後の解析で
FosBKO マウスにはアンフェタミン誘発性自傷行為の増加やグリア細胞の異常などのより広範な神経学的異常が見
出された5,6 ことから、養育行動に特異的な要素はむしろMPOA ニューロンが他のニューロンと作る神経ネットワー
クにあると考えられた。そこで現在、養育行動に特異的な神経ネットワークを明らかにする目的で、MPOA ニューロ
ンの解剖学的・神経化学的解析を進めている。
1 Numan, M., Maternal behavior in The physiology of reproduction, edited by E. Knobili & J. D.
Neill (Raven, New York, 1994), Vol. 2, pp. 221-302.
2 黒田公美, 養育行動とその異常の分子機構. 実験医学増刊 25 (13), 199-204 (2007).
3 Brown, J.R., Ye, H., Bronson, R.T., Dikkes, P., & Greenberg, M.E., A defect in nurturing in mice
lacking the immediate early gene fosB. Cell 86 (2), 297-309 (1996).
4 Kuroda, K.O. et al., ERK-FosB signaling in dorsal MPOA neurons plays a major role in the
initiation of parental behavior in mice. Mol Cel Neurosci 36 (2), 121-131 (2007).
5 Kuroda, K.O., Meaney, M.J., Uetani, N., & Kato, T., Neurobehavioral basis of the impaired
nurturing in mice lacking the immediate early gene FosB. Brain Res 1211, 57-71 (2008).
黒田 2/2
6 Kuroda, K.O., Ornthanalai, V.G., Kato, T., & Murphy, N.P., FosB null mutant mice show
enhanced methamphetamine neurotoxicity: potential involvement of FosB in intracellular
feedback signaling and astroglial function. Neuropsychopharmacology 35 (3), 641-655 (2010).






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