神経化学トピックス

神経化学のトピックを一般の方にもわかりやすくご紹介します。
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18. 前頭前野の適切なミエリン形成には、幼若期の社会的経験が必要である 
   牧之段学(奈良県立医科大学医学部精神医学)
Makinodan M et al. (2012) Science 337: 1357-1360

DOI 10.11481/topics18
登録日:2017年2月9日

はじめに
 ここ十年余りで、前頭前野機能に障害があるとされる発達障害(注意欠如多動性障害や広汎性発達障害)に苦しむ患者数は急増しており1,2、その原因として公衆衛生の整備による専門医受診数の増加などが上げられるが、依然として不明な点が多い。精神構造は遺伝、環境の双方の影響を受けるが、順応性、外向性、衝動性、柔軟性、記憶といった要素は、およそ50%が環境因によると報告されており3、興味深いことにそれらは注意欠如多動性障害や広汎性発達障害で害される諸症状である。注意欠如多動性障害や広汎性発達障害発症には、遺伝要因の強い関わりが示されているものの、前述の知見からその症状形成に環境因も少なからず関わっているのではないかと我々は考えた。昨今では、かつての年少者の砂場遊びや鬼ごっこの時間が、ひとりで行うテレビゲームや受験勉強などに充てられるようになるなど、こどもたちを取り巻く社会環境は以前と大きく異なるものとなっており、幼少期の社会的経験の不足が前頭前野の正常な発達を障害し、発達障害を誘発あるいはその諸症状を修飾しているのでは?との観点から、環境因の中でもとりわけ幼少期の社会的経験に注目した。

①社会的経験はマウス前頭前野のミエリン形成に影響を与え、その行動様式を修飾する
マウスの離乳直後(生後21日目)より成体になるまで(生後50-65日)、通常ケージに1匹飼いされたマウス(隔離マウス)と同ケージに4匹飼いされたマウス(標準マウス)、おもちゃ入りの大きなケージに8匹飼いされたマウス(エンリッチマウス)の3群につき、その前頭前野の発達を比較した。1匹飼いされたマウスの前頭前野では、標準マウスに比べミエリン形成が著明に障害されて図1 伝道速度いたが、エンリッチマウスと標準マウスでは同程度のミエリン形成が認められた。ミエリンとはグリア細胞のひとつであるオリゴデンドロサイトが形成する、神経細胞と神経細胞をつなぐ軸索を覆う絶縁体であり、その軸索を通る電気情報の伝達速度を著明に促進する働きがある。マウスが一匹飼いされ社会的経験が不足し、前頭前野のミエリン形成が障害されると、同部位の神経細胞間の伝達バランスが崩れるのではないかと考えられた(図1)。
そのため同部位依存性の行動を解析したところ、隔離マウスの社会性、ワーキングメモリ機能障害が確認された。これらの結果は、マウスは一匹飼いされると前頭前野のミエリン形成が不適切となり、神経細胞間のネットワークが障害され、同部位の機能障害が惹き起こされることを示している。


②その社会的経験の効果には臨界期がある

次に、この社会的経験の前頭前野ミエリン形成への効果は、時期特異的であるのかを調べた。なぜなら、ピアノなどの楽器の練習を幼少期から始めた人とそれ以後から始めた人ではミエリン形成の程度が異なる、などの報告があるからである4。前頭前野でオリゴデンドロサイトが著明に発達する生後21日目から生後35日目まで1匹飼いをし、その後4匹飼いをしたマウス(隔離-標準マウス)、それとは逆に生後21日目から生後35日目まで4匹飼いされ、以後1匹飼いされたマウス(標準-隔離マウス)と前述の標準マウス(生後21日より成体まで4匹飼い)の前頭前野ミエリン形成を比較したところ、標準-隔離マウスでは標準マウスと同程度のミエリン形成を認めたが、隔離-標準マウスでは障害されていた。また、社会性やワーキングメモリも隔離-標準マウスでのみ障害されていた。これにより、社会的経験がマウス前頭前野のミエリン形成及び同部位依存性の行動に影響を与える期間は、オリゴデンドロサイトの発達がプラトーに達する生後35日目までであることが明らかとなった(図2)。
図2
これらの動物実験結果からヒトの精神疾患につき外挿することはおよそ困難であるものの、幼少期の適切な社会的経験不足が、注意欠如多動性障害や広汎性発達障害の病状形成の一部を担っているのではないかと考え、現在研究を進めている。
本研究は、ハーバード大学医学部ボストン小児病院のGabriel Corfas先生、Kenneth Rosen先生と、同医学部の92歳にしてなお現役の日系2世Susumu Ito先生とともに行われた。


参考文献  1. Wingate et al., MMWR Surveill Summ (2012)
         2. Garfiled et al., Academic Pediatrics (2012)
              3. 長谷川寿一 長谷川眞理子, 進化と人間行動(2000)
              4. Bengtsson et al., Nature Neurosci (2005)

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