タイトル
2012年度 奨励賞 岩倉百合子
概要

線条体—黒質経路におけるドパミンと上皮成長因子(EGF)とのクロストーク


岩倉百合子
新潟大学脳研究所・分子神経生物学分野


<研究概要>
  ドパミン神経細胞は黒質や腹側被蓋野等の神経核から脳の様々な領域に軸索を投射し、その投射先での多様な脳機能を制御している。黒質—線条体経路は主要な脳内ドパミン神経路の一つである。投射先である線条体には、ドパミン神経に対する様々な栄養因子とその受容体が発現する事が報告されている。しかし、黒質—線条体路のドパミン神経細胞の機能的な発達において、種々の神経伝達物質や栄養因子が、どのように協同あるいは干渉しながら複雑な作用を及ぼしているのかは不明な点が多い。
  上皮成長因子(epidermal growth factor, EGF)を始めとするEGFファミリーは、主に癌や幹細胞等で広く研究されて来た古典的な増殖因子である。中枢神経系においても、その受容体(ErbB1-4)とともに広く発現している。EGFはまず膜貫通型の前駆体タンパクとして産生され、その細胞外ドメインが、ADAM等の膜型メタロプロテアーゼ群により切断されること(シェディング)が産生・放出律速となる。EGFは特に中脳ドパミン性神経細胞に対して栄養因子的な作用を示す事が示唆されてきたが、EGFの脳内での産生機序や、EGFによるドパミン神経系の機能的発達制御の詳細は不明であった。我々の研究では、パーキンソン病患者死後脳やパーキンソン病モデル動物の線条体において、遊離EGF量の低下を観察している。このことから、EGFはドパミン神経活動によりシェディングを受けて放出され、栄養因子として機能している可能性が非常に高いと考えた。そこで、我々は黒質—線条体の相互作用に着目し、①ドパミン神経に対するEGFの神経栄養作用の解明、②線条体神経細胞でのドパミン刺激によるEGFシェディング機構の2点を明らかにする研究を実施した。
  孤発性パーキンソン病患者の死後脳やパーキンソン病モデルラットを用いた実験により、線条体におけるEGFシグナルの神経栄養作用が黒質ドパミン神経支配により制御され、その異常がパーキンソン病に関与することが明らかになった。また、ラットやerbB1ノックアウトマウス中脳では、EGF、もしくは他のErbB1リガンドは黒質ドパミン神経の形態的及び機能的な発達に寄与することを確認した。ラット線条体神経細胞では、ドパミンやドパミンD1受容体アゴニストは用量依存的にEGF放出を促進し、メタロプロテアーゼの活性化およびErbB1リン酸化を誘導した。このような線条体神経細胞からのEGFの放出は、メタロプロテアーゼ阻害剤、及びカルシウムキレーターによって阻害された。以上の結果から、線条体に投射される黒質ドパミン神経終末からの持続的なドパミン刺激は、標的細胞からのEGFの放出を促進し、ドパミン神経へ逆行性の神経栄養シグナルを供給しているものと推定された(図)。
  これらの研究から、ドパミン神経系の発達調節に、神経活動依存的なシェディング調節やそれにともなう逆行性の栄養因子シグナルの活性化という非常にユニークな分子メカニズムが関与していることが明らかになった。EGFは統合失調症等の精神神経疾患の一因であると提唱され、とりわけドパミン神経系の発達障害仮説との関連性が注目されている。ドパミンと神経栄養因子シグナルとの相互作用という新たな視点が加わる事により、ドパミン神経系に関与する脳機能疾患の病態理解が進む事を望みたい。

図: 黒質—線条体経路における、EGFの細胞外ドメインのシェディングを介したドパミンとEGFシグナルのクロストークモデル
  黒質ドパミン神経細胞から放出されたドパミンが、線条体神経細胞のドパミンD1受容体を刺激する。それにより、PKCを介してADAM等のメタロプロテアーゼが活性化する。活性化したADAMは、細胞表面及び分泌小胞においてEGF前駆体タンパクのシェディングを行う。放出されたEGFは逆行性の栄養シグナルとして黒質ドパミン神経に作用する。