タイトル
2009年度 奨励賞 沼川 忠広
概要

グルココルチコイド受容体およびBDNF受容体の相互作用に制御されるグルタミン酸放出

Glucocorticoid receptor interaction with TrkB promotes BDNF-triggered glutamate release

沼川 忠広   Tadahiro Numakawa

国立精神・神経センター 神経研究所


<研究概要>
うつ病発症メカニズムにおける仮説のひとつとして、HPA内分泌系(hypothalamic-pituitary-adrenal axis、視床下部-下垂体-副腎皮質)の異常な機能亢進がある。この機能亢進によって副腎皮質からストレスホルモンであるグルココルチコイドの過分泌が生じ、うつ病患者によく見られるように血中グルココルチコイド濃度が持続的に上昇する。このグルココルチコイド上昇は中枢神経系にダメージを与え、疾患発症に関与する可能性が示唆されている。一方で、BDNF(脳由来神経栄養因子)の発現低下とうつ病発症における相関も知られており、抗うつ薬の治療効果はBDNF発現を高めることに起因するという説も有力である。しかし現段階では、中枢神経系の情報伝達におけるグルココルチコイドの役割についての知見は乏しく、神経可塑性の最も主要な調節因子のひとつBDNFの機能との関連に至ってはほとんど不明であった。

本研究では、BDNFが短時間で発揮する神経伝達物質放出作用に対するグルココルチコイド暴露の効果を解析した。特に、TrkB(BDNF受容体)とGR(グルココルチコイド受容体)との相互作用を発見し、この相互作用が伝達物質放出に重要なTrkB/PLCγ/Ca2+シグナルに影響を及ぼすことを見出した。そして、これまで転写因子として認知されていたGRが、膜蛋白質TrkBとの相互作用を介してBDNFの働きを制御する、という新しいGRの機能を提唱した(Numakawa et al., Proc Natl Acad Sci U S A. 2009)。

培養4日目の大脳皮質ニューロンに48時間のグルココルチコイド暴露を行い、その後BDNFを1分間投与して細胞応答を解析した。グルココルチコイド投与はGR発現を半減させ、TrkBとの相互作用も著しく低下させた。GR-TrkB相互作用の低下したニューロンでは、BDNFが誘発する興奮性伝達物質グルタミン酸の放出が減少した。グルココルチコイドを腹腔投与したラット大脳組織でもGR-TrkB相互作用の低下がみられ、これが生理的条件下でも重要であることを示唆している。

ここで、グルココルチコイドによってGRの転写活性を介した種々の蛋白質の発現変動が生じ、それがBDNF機能の低下の原因となっている可能性があった。ところが、グルココルチコイド投与なしでsiRNAにてGRの発現を抑制したニューロンを用いても、BDNFによるグルタミン酸放出が低下した。反対に、GR強発現後ではGR-TrkB相互作用およびグルタミン酸放出の増加が観察された。

グルココルチコイド暴露によって、BDNF刺激によるTrkB活性化は影響を受けなかった。これまでの我々の研究で、TrkB下流シグナルの中で特にPLCγ/Ca2+経路のグルタミン酸放出における重要性が明らかであった(Numakawa et al., J. Biol. Chem. 2002., Numakawa et al., J. Biol. Chem. 2003., Numakawa et al., J. Biol. Chem. 2004)。PLCγはIP3受容体を介して小胞体から細胞質内への素早いCa2+放出を引き起こす。この細胞内Ca2+の増加はグルタミン酸放出に必須であると思われる。そこでグルココルチコイド暴露後において、BDNF依存的なPLCγとTrkBとの相互作用を解析した。その結果、グルココルチコイドによりPLCγとTrkBの結合力が弱まり、PLCγ活性化が減少することがわかった。詳細な解析の結果、GR-TrkB複合体はPLCγとTrkBとの結合およびPLCγ活性化に有利であり、グルココルチコイド暴露後ではGR-TrkB相互作用の低下によって、BDNFによるPLCγ活性化が起こりにくい状況になると考えられる。興味深いことに、我々は抗うつ薬 (imipramine, fluvoxiamine)が、このPLCγ/Ca2+経路活性化を増強する現象を見出している(Yagasaki et al., J. Biol. Chem. 2006)。このことからも、うつ病発症にはグルココルチコイドが関与しており、BDNFの機能阻害がグルココルチコイド暴露によって生じるという我々の実験系が、in vitro モデルとして有用である可能性を示している。

図 グルココルチコイド受容体(GR)およびBDNF受容体(TrkB)の相互作用に制御されるグルタミン酸放出

BDNFが誘導するグルタミン酸放出では、受容体TrkB下流シグナルの中で特にPLCγ/Ca2+経路が重要。PLCγは細胞質内Ca2+の濃度を増加させる。このCa2+増加はBDNFによるグルタミン酸放出に必要である。

(1)グルココルチコイド暴露がない場合、GRの発現が十分でGR-TrkB複合体が豊富にある。この環境ではBDNFによるPLCγ活性化が十分でグルタミン酸も多く放出される。
(2)グルココルチコイド暴露によりGR発現が減少し、GR-TrkB複合体の割合が低下。
(3)GR-TrkB複合体の減少後では、BDNF依存的なPLCγとTrkBの結合およびその後PLCγの活性化が不十分でグルタミン酸放出が減少。