TOPシンポジウム
 
公開シンポジウム1
精神と神経のエピジェネティクス疾患
S1-1
エピジェネティクスとは?
畑田 出穂
群大・生体調節研・ゲノム科学

 「先天的な影響と後天的な影響とのうちどちらが重要か?」という議論は古代から存在した。近代になり、ダーウィンの従兄弟の数学者ガルトンが、「nature or nurture(氏か育ちか)」という言葉をつくりだしこの議論を再燃させた。すなわち「遺伝か環境か」という議論である。この議論は、近年、再び活発になっている。ゲノムプロジェクト終了によりヒトはたった3万個程度の遺伝子しかもっていないことが判明した結果、「この程度の数の遺伝子で人間の多様性を説明することができるのだろうか」という疑問が新たに湧いてきた。その疑問に答えたのが、「エピジェネティクス」である。「エピジェネティクス」は遺伝子を自在にON/OFFできるしくみであり、このしくみにより、理論的には、たった20個の遺伝子で100万通りの遺伝子の発現パターンが可能である。さらに、このスイッチが環境によりON/OFFを左右されるとしたら、環境の影響による人間の多様性も説明可能である。エピジェネティクス研究は、20世紀の後半、ゲノムインプリンティングやがんの研究はおこなわれてはいたが、広く知られてはいなかった。しかし今世紀にはいりエピジェネティクスで未解明のさまざまな生命現象や疾患を説明できるかもしれないという期待から俄然注目されている。この発表ではエピジェネティクスの歴史、基本的なしくみ、最近の話題、神経化学研究における展望について論ずる。
S1-2
パーキンソン病、アルツハイマー病でのDNAメチル化異常
岩田 淳1,2
科学技術振興機構・さきがけ1,東京大学医学部附属病院神経内科2

パーキンソン病(PD)、アルツハイマー病(AD)などの神経変性疾患の生化学的、病理学的特徴の一つには異常凝集タンパク質の脳内蓄積がある。その原因としては、凝集タンパク質の産生過剰もしくは分解低下が想定されているが、詳細には不明な点が多い。脳疾患の研究方法にはヒトの設計図であるゲノム情報から始めるトップダウンの方法と、剖検脳から始めるボトムアップの方法があるが、どちらにもメリット、デメリットがある。ゲノム情報のみでは発症まで60年以上かかるような神経変性疾患での環境因子の関与は検討できず、剖検脳を使用した場合は、疾患に直接関係する情報がどの程度保たれた状態で解析が可能かという問題点があるわけである。私たちは、剖検脳を使用した新しい病態解析方法を開発するため、DNAのメチル化情報が死後一定時間は安定に保持される事、またそれが特定の遺伝子の発現情報を間接的ではあるが良く表していることを元に、孤発性パーキンソン病と孤発性アルツハイマー病脳でのDNAメチル化解析を行った。それにより、PDではSNCA、ADではAPPの発現が上昇する様なDNAメチル化異常が生じている事を明らかにした。すなわち、これらの遺伝子産物の発現増加が孤発例での病態に深く関与している事が想定される。さらに、ADではAPPのメチル化異常がAPOE遺伝子ε4多型非保持例で特に目立つことも見いだした。APOEはAβの除去に関与する事が想定されており、ε4多型保持者ではADのリスクが最大10倍程度に増加する事が知られている。ADではさらにMAPTGSB3BのCpGメチル化異常も見いだしたが、これらの変化はMAPTの発現低下、GSK3Bの発現上昇を示唆していた。我々の見いだした結果は、孤発性神経変性疾患症例でのエピゲノム異常の病態への関与を深く示唆している。
S1-3
精神疾患のエピジェネティクス
岩本 和也
東京大学大学院医学系研究科分子精神医学講座

 統合失調症や双極性障害(躁うつ病)は、民族集団、地域、時代を問わず約100人に1人が罹患する精神疾患である。両疾患共に思春期前後に好発期があり、遺伝と環境の複雑な相互作用によって発症に至ると考えられている。現在までに多くの遺伝学研究が行われてきたが、確実な原因遺伝子の同定には至っていない。これらの疾患では一卵性双生児における疾患発症一致率が40-60%程度であり、高いレベルにあるものの完全に一致しないことが知られている。これは環境要因の作用結果だと考えられており、分子レベルではエピジェネティクスの概念で説明できると考えられる。
 我々は、精神疾患患者死後脳試料を用い、脳神経系細胞のゲノムDNAに何が起きているのかを検討している。現在までに、DNAメチル化状態を始めとした修飾状態に差異があることに加え、ゲノム配列自体もトランスポゾンLINE-1の過挿入が起きていることを見出している。LINE-1の過挿入は精神疾患の遺伝学研究で示唆されてきた遺伝子や神経機能に重要な遺伝子に生じており、精神疾患の病態と密接に関係していることが示唆された。また、動物モデルを用いた検討により、妊娠期の母体環境や乳幼児期における免疫機能を操作すると脳神経系細胞において過挿入が生じることを明らかにした。
 環境要因によって惹起される脳神経系のエピゲノム異常やトランスポゾン過挿入は、各人が持っている個別の遺伝的背景と合わせて、精神疾患発症の閾値や病態に影響を与えていると考えられる。
S1-4
発達障害におけるエピジェネティクス研究
堀家 慎一
金沢大学 学際科学実験センター ゲノム機能解析分野

 最近の全ゲノム解析により、自閉症患者で特異的なゲノムコピー数多型が様々な染色体領域で同定されるに至っている。しかしながら、自閉症の発症に直接結びつくような原因遺伝子の同定に成功した例は非常に希で、自閉症患者で認められるゲノムの欠失、重複により二次的に周辺の遺伝子の発現に影響を与えている可能性が示唆される。このことから、我々はレット症候群や自閉症、脆弱性X症候群などの広汎性神経発達障害の原因の一つに、染色体構造の大きな変化や、「染色体ペアリング」といったグローバルな発現制御機構がそれらの複雑な臨床症状に寄与しているのではないかと考えている。我々は以前、レット症候群の原因遺伝子であるMeCP2がゲノムの構造を変化させることで神経発達関連遺伝子群の発現をコントロールしていることを見出した。また、我々は自閉症患者で最も頻回に認められるCNVs領域である15q11-q13のクロマチンダイナミクスに着目し、15q11-q13領域の核内配置が如何に制御されるかについて明らかにした。本シンポジウムでは、以上のような神経発達障害の発症に関わるクロマチンダイナミクスの最新知見を紹介する。
S1-5
HDAC阻害剤バルプロ酸による神経幹細胞制御とその影響
中島 欽一
九大院・医・応用幹細胞医科学

神経幹細胞及びそれから分化・産生されるニューロン、アストロサイト、オリゴデンドロサイトは、脳神経系を形成する主要な細胞種である。近年、DNAメチル化やアセチル化を含むヒストン修飾)などによるエピジェネティクス機構が、これら細胞の機能発現に重要であることが明らかにされつつある。我々は以前に、抗てんかん薬かつヒストンアセチル化酵素(HDAC)阻害剤であるバルプロ酸が、神経幹細胞からニューロンへの分化を促進できることを示した。またこの作用を利用して、神経幹細胞移植とバルプロ酸投与の併用により、新しくニューロンを補充することで、損傷脊髄の機能を改善させる新規治療法の報告も行った。しかし我々は最近、マウス胎仔がバルプロ酸に曝露されると、神経幹細胞からニューロンへの分化が過度に促進された結果、本来ならば維持されているべき神経幹細胞数が減少し、成体海馬におけるニューロン新生が減少することを見出した。その結果、バルプロ酸曝露マウスでは、成長後に学習記憶障害が観察されるが、この障害を離乳後の自発的運動によって一部改善できることを見出した。本講演ではこれら一連のトピックスについて紹介するとともに議論したい。