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シンポジウム5
エピジェネティックス機構から精神神経疾患の病態を探る
S5-1
外傷後ストレス障害の病態形成に関するエピジェネティック・メカニズム
森信 繁
高知大学・医・神経精神

外傷後ストレス障害(PTSD)の発症には過酷なストレスへの暴露という環境因が前駆しており、ストレスによる視床下部-下垂体-副腎皮質(HPA)系の活性化を介したコルチゾールの分泌亢進は、グルココルチコイド受容体(GR)の転写因子機能の増大による脳内遺伝子発現の変動を招くと考えられる。PTSDの病態形成にはストレスによる脳内遺伝子発現の変動が基盤にあると考えられ、ストレスによるDNAメチル化やヒストン修飾の変動を解明することは、本障害の予防法や治療法の開発に有効と考えられる。PTSDの中核症状の一つが恐怖記憶の消去障害であり、これまでに演者らはPTSD動物モデルであるsingle prolonged stress(SPS)負荷ラットを用いて、histone deacetylase(HDAC)阻害薬投与による海馬のヒストン・アセチル化の亢進を介したNMDA受容体NR2B subunit発現の増大が、恐怖記憶の消去障害の改善に有効であることを報告している。この他にも抗アセチル化ヒストン抗体を用いたChIP-Sequencing法によって、HDAC阻害薬投与による恐怖記憶の消去障害の修復機序の解明を行い、Piccoloなどの記憶機能に関与する遺伝子の発現変化が関与していると考えている。同様にSPSラットを用いた研究から、海馬でのストレスによるGRの核内移行の増大する結果を得ており、GRを介した遺伝子転写機能の亢進とストレスによるDNAメチル化の変動が、協調的に作用しているのか拮抗的に働いているのか興味のもたれるところである。本シンポジウムではSPSラットを用いた海馬でのエピジェネティック機構の変動からみた、PTSDの病態メカニズムについて報告する。
S5-2
双極性障害のエピジェネティクス~セロトニントランスポーターにおける候補遺伝子解析
岩本 和也1,文東 美紀1,池亀 天平1,2,菅原 裕子3,石郷岡 純3,笠井 清登2,加藤 忠史4
東京大学大学院医学系研究科分子精神医学講座1,東京大学大学院医学系研究科精神医学2,東京女子医科大学大学院医学系研究科精神医学分野3,理化学研究所脳科学総合研究センター精神疾患動態研究チーム4

双極性障害(躁うつ病)は、躁とうつ状態を繰り返す重篤な精神疾患であり、双生児や家系研究から遺伝要因の関与が明らかである。しかし、現在までに多くの遺伝学的研究が行われてきたが、確実な原因遺伝子の同定には至っていない。我々は一卵性双生児双極性障害不一致例由来試料の解析によりセロトニントランスポータープロモーター領域の高メチル化を同定した(Sugawara et al,. 2011)。セロトニントランスポーターは、シナプス間隙でのセロトニン再取り込みに関わり、遺伝や薬理学分野において最も研究の行われてきた遺伝子の一つでもある。同定した高メチル化CpG部位を起点として、患者死後脳での検討、神経系細胞株を用いた投薬効果の検討、疾患特異性の検討、大規模サンプルでの追試、HTTLPR多型とDNAメチル化状態の関連解析などを行っている。本シンポジウムでは、現在までに得られている知見について概説すると共に、双極性障害の病態との関わりについて議論する。
S5-3
統合失調症とエピジェネティックス
沼田 周助
徳島大学病院精神科神経科

エピジェネティックスの機構の1つであるDNAメチル化修飾は統合失調症においても注目されてきている。統合失調症の診断は患者の精神症状に基づいて行われており、生物学的診断マーカーは未だ確率されていない。我々の教室では、現在、DNAメチル化修飾を利用した統合失調症の診断マーカー開発に取り組んでいる。向精神薬を内服していない統合失調症患者24名と精神疾患のない健常者23名の末梢血から抽出したDNAとIllumina社製のInfinium HumanMethylation450 Beadchipsを用いてゲノムワイドなDNAメチル化解析を行い、末梢血における統合失調症のDNAメチル化修飾異常の特徴を明らかにするとともに、判別分析にて高い感度・特異度で、統合失調症と健常者を区別するメチル化バイオマーカーを見出した。一方、DNAメチル化修飾解析の研究手法において、解析する組織のcellular heterogenityのDNAメチル化修飾への影響が明らかになってきている。我々は、統合失調症患者63名と精神疾患のない健常者42名の末梢血から抽出したDNAとIllumina社製のInfinium HumanMethylation450 Beadchipsを用いてゲノムワイドなDNAメチル化解析を行い、estimated cell-type proportionを用いて末梢血のcellular heterogenityについての検討を行ったので報告する。これらの研究は徳島大学医学部ヒトゲノム・遺伝子解析研究倫理審査委員会によって承認されており、研究への参加に際してすべての対象者から書面で同意を得た。
S5-4
母子分離ストレスはRARα遺伝子のメチル化増加を介して成体海馬神経前駆細胞の分化能を減弱させる
朴 秀賢1,戸田 裕之3,中川 伸2,加藤 亜紀子2,井上 猛2,小山 司2,廣井 昇1,久住 一郎2
アルバート・アインシュタイン医科大学 精神・行動科学講座1,北海道大学大学院医学研究科精神医学分野2,防衛医科大学校 精神科学講座3

Early life stress is thought to contribute to psychiatric disorders, but the precise mechanisms underlying this link are poorly understood. As neonatal stress decreases adult hippocampal neurogenesis, which in turn functionally contributes to many behavioral phenotypes relevant to psychiatric disorders, we examined how in vivo neonatal maternal separation(NMS)impacts the capacity of adult hippocampal neural precursor cells via epigenetic alterations in vitro.
Rat pups were separated from their dams for 3 hours daily from postnatal day(PND)2 to 14 or were never separated from the dam(as controls). We isolated adult neural precursor cells from the hippocampal dentate gyrus(ADP)at PND 56 and assessed rates of proliferation, apoptosis and differentiation of ADP. We also evaluated the effect of DNA methylation at the retinoic acid receptor(RAR)promoter stemming from NMS on ADP.
NMS attenuated neural differentiation of ADP, but had no detectible effect on proliferation, apoptosis or astroglial differentiation. 5-aza-dC, a DNA methyltransferase(DNMT)inhibitor, reversed a reduction by NMS of neural differentiation of ADP. NMS increased DNMT1 expression and decreased RARα expression. An RARα agonist increased neural differentiation of ADP and an antagonist reduced retinoic acid-induced neural differentiation of ADP. NMS increased the methylated portion of RARα promoter, and 5-aza-dC reversed a reduction by NMS of RARα mRNA expression in ADP.
These results suggest that NMS may attenuate the capacity of adult hippocampal neural precursor cells to differentiate into neurons by decreasing expression of RARα through DNMT1-mediated methylation of its promoter.
S5-5
発達障害のエピジェネティクス病態の最新理解
久保田 健夫1,三宅 邦夫1,針谷 夏代1,望月 和樹2
山梨大院・医・環境遺伝医学1,山梨大・生命環境・地域食物科学2

 エピジェネティクスとは、DNAの配列ではなくDNA・ヒストン蛋白質の化学修飾に依存する遺伝子発現制御メカニズムのことである。近年、このような化学修飾に関わる酵素や各種タンパク質の先天的な異常が、これまで原因不明とされてきた多数の発達障害疾患の原因であることが判明し、このことから、正常な脳の発生や発達にはエピジェネティックな遺伝子調節が必須であることが示唆されるようになった。
 従来、「親から受け継ぐ生涯変わらないもの」の代名詞のように扱われてきたDNAにおいて、その修飾においては、環境の影響を受けて変わり得ることが判明した。すなわち、「脳に対する環境負荷→脳内のDNAの修飾変化(エピジェネティクス変化)→遺伝子の働きの変化→脳機能の変化」という流れが判明し、これが脳の可塑性の遺伝学的な基盤になっていると考えられるようになってきた。
 最近、環境で変化したエピジェネティクスが脳機能の異常とともに、次世代に遺伝することが提唱されはじめた。その一方で、現在頻用されている向精神薬が変化したエピジェネティクスの修復作用を有することが判明し、これを元に薬剤開発が進んでいる。
 以上をふまえ、本シンポジウムでは、レット症候群に代表されるようなエピジェネティクス異常に起因する先天的な自閉症、エピゲノム差異に起因する一卵性双生児間の発達障害差異、胎児期や幼少期の環境エピジェネティクス変化に起因する発達障害、エピジェネティクス変化の修復治療戦略、といった観点から「発達障害のエピジェネティクス病態」の最新理解について概説する。