タイトル
2008年度 最優秀奨励賞 橋本 亮太
概要

精神疾患のトランスレーショナルリサーチ

Translational research in mental disorder

橋本 亮太   Ryota Hashimoto

大阪大学大学院医学系研究科附属子どものこころの分子統御機構研究センター

The Osaka-Hamamatsu Joint Research Center for Child Mental Development, Osaka University Graduate School of Medicine
大阪大学大学院医学系研究科情報統合医学講座精神医学教室
Department of Psychiatry, Osaka University Graduate School of Medicine

<研究概要>
統合失調症をはじめとする精神疾患は、遺伝的因子と環境的因子の双方により発症する多因子疾患と考えられている。精神疾患の病態を解明し、新たな治療法を開発するためには、疾患に関連する分子を特定する必要がある(図1)。しかし、精神疾患脳における質的な病理学的所見が見出されておらず、精神疾患の医学的な特徴は精神症状でありモデル動物の作成は困難であることから、今まで行われてきた科学的アプローチに限界があることがわかってきた。そこで、分子遺伝学的手法や中間表現型(精神疾患にて障害される遺伝性が認められる量的に測定可能な神経生物学的な表現型:認知機能、脳画像、神経生理学的所見など)を用いて解析することにより、遺伝的素因を形成するいくつもの疾患脆弱性遺伝子(発症リスクを高める遺伝子)を同定することが提唱され始めている。しかし、それは始まったばかりで、実際的なデータはほとんど得られていないのが現状である。さらに、dysbindinをはじめとするいくつかの有力な脆弱性遺伝子においては精神疾患との関連は見出されたもののその機能が明らかでなく、神経生化学的な解析がその病態を解明するために必要であると考えられている。しかし、精神医学の最先端の知見は未だ神経化学の領域に十分に取り入れられていない。このような状況において、我々は、精神疾患の臨床研究の最新の手法を用いて脆弱性遺伝子を同定することと、その成果を基礎研究に還元し最先端の神経化学的手法を用いて精神疾患の病態を解明することを目的とした研究を以下のように4つの遺伝子について行った。

Dysbindinにおいてはグルタミン酸の放出や神経保護作用に関与することを神経系の新たな機能として世界で初めて報告した(Hum Mol Genet, 13:2699-2708, 2004)。Neuregulin1については、当時まだ一般的ではなかったreal-time PCR法によるmRNA定量法を取り入れて、世界で初めて統合失調症の死後脳における発現レベルの異常を報告した(Mol Psychiatry, 9:299-307, 2004)。Disrupted in Schizophrenia 1 (DISC1)遺伝子のミスセンス変異であるSer704Cys多型のCys型がうつ病に多く認められることを見出し、704Cys多型ではヒトの脳構造の脆弱性とERKシグナルの低下が認められることを報告した(Hum Mol Genet, 15:3024-3033, 2006)。Pituitary adenylate cyclase-activating polypeptide(PACAP)遺伝子の多型とPACAP受容体であるPAC1遺伝子の多型が統合失調症と関連し、そのPACAP遺伝子多型は中間表現型である記憶機能の低下や海馬体積の減少と関連することを明らかとした。その上にPACAP欠損マウスの統合失調症様とされる異常行動が、抗精神病薬にて回復させることを見出した(Mol Psychiatry, 12:1026-1032, 2007)。

本研究の一連の流れは、神経化学研究に精神疾患の臨床研究における最新の知見を取り入れており、分子からこころを明らかとするこれからの神経化学研究の方向性を実践したものと考えられる(図2)。今後、精神疾患の臨床研究が進み新たなターゲット分子が見つかってくることが想定されている。しかし、ひとつの分子の脳における機能を同定することすらたやすいことではない。現在ある神経化学の広大なバックグラウンドがあってこそ、このようなトランスレーショナルリサーチが可能になってくると考えられる。今後のますますの神経化学研究の発展を期待し、少しでも貢献したいと考えている。


図1 精神疾患のトランスレーショナルリサーチ:臨床から基礎へ-基礎から臨床へ-

図2 精神疾患のトランスレーショナルリサーチ:リスク遺伝子の同定から病態の解明へ


上段:臨床研究と基礎研究を融合することにより新しい創薬を行う。
下段右側:臨床研究において、精神疾患の表現型だけでなく、中間表現型を用いた遺伝子解析を行い、統合失調症の脆弱性遺伝子(リスク遺伝子)を同定する(PACAP, Dysbindin, DISC1など)。
下段左側:基礎研究において、臨床研究にて同定された遺伝子について、動物レベルや細胞レベルの神経化学的研究を行い、その分子の機能を見出し病態に迫る。