特別寄稿

会員からの特別寄稿を掲載しております。
※なお、目次記載の所属は執筆当時の所属となっております。


私と神経化学
       神経化学会の回顧と展望


永津俊治 (Toshiharu NAGATSU)
藤田医科大学 医学部アドバイザー 客員教授 特別栄誉教授
名古屋大学名誉教授 東京工業大学名誉教授
日本神経化学会名誉会員



 日本神経化学会 (JSN: Japanese Society for Neurochemistry)は、御子柴克彦先生が「私と神経化学:日本神経化学会のルーツと歩み」に記載されたように、第1回が「神経化学懇話会」として1958年に大阪で始まり、1967年第10回大会で「神経化学会」と改名されて、今年2020年第63回大会までの63年の長い歴史があります。私は第1回より参加しており多くのなつかしい思い出があります。私は名古屋大学医学部学生時代に授業・実習の後に生化学教室で研究の手伝いをしており、1958年大学院生時代は精神科所属でしたが生化学教室で神経生化学の研究をしていましたので、神経化学会に喜んで参加しました。慶応義塾大学生理学教授の塚田裕三先生と大阪大学精神医学教授の佐野勇先生とが、基礎医学と臨床医学の共同の立場より学会を創立推進されましたので、創立時より基礎生化学と臨床精神医学を結び学際的でした。中修三先生(九州大学)、臺(うてな)弘先生(東京大学)も創立者であり、学会発表の審査が厳しいことが有名でした。討論に重点が置かれて、佐野勇先生と臺弘先生の厳しい討論は伝説になっています。日本神経化学会は、世界で最初に創立された精神・神経疾患の化学による解明をめざした学会であり、その後にアメリカ、ヨーロッパ、アジア・太平洋の世界の各国での神経化学会、また1967年には国際神経化学会(ISN: International Society for Neurochemistry)が設立されたので、塚田裕三先生らの卓絶した先見性が偲ばれます。私は東京工業大学在任中1982年に第25回神経化学会を会長として東京(昭和大学)で開催させていただきましたが、その際には昭和大学学長の上条先生にお世話になりました。1980~1990年代にはアメリカ、ヨーロッパの神経化学関連の国際学会にたびたび出席しました。IrelandのProf. Tipton KF が Editor-in-ChiefであったISN Official Journal : Journal of Neurochemistry (JNC)のEditorをつとめて、世界の多くの神経化学者と交流する機会を得ました。1962年以来の畏友の米国NIHのDr. Marshall Nirenberg(遺伝子コード解明で1968年Nobel賞;1927-2010)は、常に研究室におり学会にはあまり出席しない研究者でしたが、日本神経化学会には興味をもたれて、日本神経化学会名誉会員となり、松山での1980年第23回神経化学会(会長・柿本泰男先生)、新潟での2003年第46回神経化学会(会長・辻省次先生)に来日して講演されました。2010年82歳で逝去されましたが、最後まで研究をされました1)。2003年第46回神経化学会の折には、現・藤田医科大学を訪問され、また長年にわたり共同研究をされた金沢大学教授の東田陽博先生を訪問されて、ことに若手研究者を励まされました2)。藤田医科大学には、Dr. Nirenbergの写真と共に、若手研究者への励ましの言葉:” If you are really interested in your research, it is easy to work hard and you probably discover something of great interest.” の額が掲載されています。


 21世紀は神経科学Neuroscienceの時代といわれますが、米国の神経科学会の発展と同じく、日本でも神経化学会の後に、伊藤正男先生が創立された日本神経科学学会が大きく発展しています。日本神経化学会は日本神経科学学会の領域の一部とも考えられますが、日本神経化学会はことに化学による脳神経疾患の分子病態解明と創薬などの予防治療を目指して創立された点に特色があります。神経化学会は、広い領域にわたり脳科学解明を目指す神経科学学会とは密接な共同が必要です。神経化学会はこれまでに、日本神経科学学会の他にも、日本生物学的精神医学会、日本神経精神薬理学会、日本生物物理学会などとも学会を共同開催してきました。若手研究者の育成は、どの学会も努力している重要問題ですが、御子柴先生が述べられたように、神経化学会は大きな努力をしています。


 私は精神・神経疾患の病態解明も化学によると考えて、臨床・精神医学より、基礎・神経生化学に移りましたが、20世紀後半より21世紀初めにおける脳科学研究への分子生物学、分子遺伝学、分子画像解析、情報科学などの導入による脳の基礎科学の目覚ましい進歩にも関わらず、統合失調症、うつ病、アルツハイマー病、パーキンソン病などの精神・神経疾患の分子機構の解明と予防治療はいまだ研究の途上にあります。精神疾患には薬物治療と共に、認知行動療法などの精神療法が重要であることが近年よく認識されていますが、精神療法と抗神経・精神薬の脳内神経伝達物質と神経回路網に対する作用機序と効果の解明も今後に残された課題です3)。

 精神・神経疾患の解明、予防治療は極めて困難な研究課題で、化学では不可能ではないかとの意見もありますが、私は若手研究者のたゆまない努力による神経化学研究の継続的発展により、脳老化や多くの神経難病が克服される時がくることを期待しています。神経化学会の会員の皆様のご健闘をお祈りいたします。

文献
1) Nagatsu T. (2010) OBITUARY. Marshall Nirenberg (1927-2010): Nobel Laureate, Giant of Neurochemistry and Molecular Biology, and Honorary Member of Japan Society for Neurochemistry (JSN). J Neurochem 113: 1367-1368.https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1111/j.1471-4159.2010.06755.x

2) Higashida H. (2012) A personal view from a long-lasting collaborator on the research strategies of Marshall Nirenberg. Neurochem Int 61: 821-827.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/22414530

3) Nagatsu T. (2020) Hypothesis: Neural mechanism of psychotherapy for the treatment of 
Parkinson’s disease: cognitive behavioral therapy (CBT), acceptance and commitment 
therapy (ACT), and Morita therapy. J Neural Transm (Vienna) 127: 273-276.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/31807951

(2020年2月原稿受領)