タイトル
2012年度 奨励賞 吾郷由希夫
概要
統合失調症認知機能障害改善のアセチルコリン神経基盤に関する神経化学的研究
Neurochemical study on the cholinergic basis for improvement of cognitive dysfunction in schizophrenia
吾郷 由希夫
Yukio Ago
大阪大学大学院薬学研究科 薬物治療学分野
Laboratory of Medicinal Pharmacology, Graduate School of Pharmaceutical Sciences, Osaka University

統合失調症において、認知機能障害は疾患の中核をなすと考えられ、注意力や作業遂行能力に影響を与えることから、罹患者の社会復帰やQOLの向上を考える上で非常に重要です。ドパミンD2/セロトニン2A受容体遮断薬、あるいは多受容体作用型の非定型抗精神病薬の登場から、陽性/陰性症状に対して一定の治療法が確立されてきていますが、認知機能障害に対しては有効な薬物が限定されており、まだ十分な治療効果が得られていません。このような中で、統合失調症患者の死後脳において、ニコチン性アセチルコリン(ACh)受容体(ニコチン受容体)のサブユニットやM1、M4ムスカリン性ACh受容体(ムスカリン受容体)の発現レベルが低下している例や、α7ニコチン受容体の内因性アンタゴニスト(アロステリック阻害)として働くキヌレン酸(トリプトファンの代謝物)量の増加が見出され、統合失調症病態生理基盤におけるACh神経機能低下の関与が示されてきています。一方で、一部の抗精神病薬はラット脳内においてドパミンに加えシナプス間隙の遊離ACh量を増加させることが知られており、統合失調症の病態改善へのACh神経系の寄与が示唆されます。

このような中で、統合失調症認知機能障害に対するAChエステラーゼ阻害薬の補助療法が検討され、ガランタミンが改善作用を示すのに対して、ドネペジルは作用を示さないとの結果が報告されました。アルツハイマー型認知症の治療薬として、2011年より本邦において用いられるようになったガランタミンは、AChエステラーゼの競合的阻害薬であると同時に、ニコチン受容体のアロステリック活性化作用を有する薬物であり、記憶障害などの中核症状のみならず、行動・心理症状(BPSD)といった周辺症状に対する有効性も認められています。私達は、感覚情報処理機能の指標として知られ、統合失調症患者の多くでその障害が認められるプレパルスインヒビション(PPI)に着目し、種々の精神疾患関連モデルの解析を行ったところ、幼若期からの長期隔離飼育マウスにおいてのみ、ガランタミンとドネペジルの薬効プロファイルに違いがあることを見出しました(Koda et al., Psychopharmacology (Berl) 196: 293-301, 2008)。本成績は、一部の臨床報告と一致しており、長期隔離飼育モデルでの作用解析が統合失調症認知機能障害の改善の創薬基盤の追究に貢献する可能性を示唆しています。私達は、この長期隔離飼育マウスにおいて、中枢ムスカリン受容体機能の低下を見出し、さらに予想外にも、ガランタミンがニコチン受容体ではなく、ACh遊離促進作用を介したムスカリン受容体の活性化によりモデルマウスの病態を改善することを明らかにしました(Yano et al., Br J Pharmacol 156: 173-180, 2009; Koda et al., Br J Pharmacol 162: 763-772, 2011)。またドネペジルは、軽度なムスカリンM1受容体拮抗作用を有することを見出しました(Ago et al., Synapse 65: 1373-1377, 2011)。さらにガランタミンはドネペジルと異なり、海馬でのインスリン様成長因子2 (IGF2)の発現増加を引き起こし(Kita et al., Psychopharmacology (Berl) 225: 543-551, 2013)、海馬神経新生の促進作用も有していました。これらACh神経系の活性化を介した作用が、認知機能障害の軽減に寄与しうるものと考えています。(図参照)

ガランタミンの薬理学的特性に関する追究から見出された以上の成績は、統合失調症とACh神経系との密接な関わりを示すものであり、精神疾患の治療をより戦略的に推進するため、その科学性・論理性を確保するための神経化学的研究として、創薬基盤の構築に貢献するものと期待します。


(図) 本研究で明らかにした長期隔離飼育マウスのPPI障害ならびにAChエステラーゼ阻害薬の作用様式におけるACh神経基盤の概略