TOP日本神経化学会-日本神経科学学会ジョイントシンポジウム
 
日本神経化学会-日本神経科学学会ジョイントシンポジウム
多臓器円環を駆動する神経ダイナミズム
2A-JSN/JNSS-1
『多臓器円環のダイナミクス』による『人間生物学』の創成
入來 篤史
理化学研究所 脳科学総合研究センター

生物の種々の要素的な構造/機能を時空間横断的な相互作用ネットワークとして再構造化して、個体全体の発生/誕生から死に至る総ての過程を連続する一連の過程と捉え直し、その正常と異常そして異常の徴候などを定量的に科学しよう」というのが、『多臓器円環』研究の精神である。我々科学者が日々邁進している近代科学の基本的な作法とは、まず『境界条件』を設定して現象を明証的に定義し、その内で還元されるべき諸要素を吟味/分析/精緻化して、現象を枚挙理解することにある。この『境界条件』によって個々の学問分野が形成され、それに対応して研究組織などの社会構造が分化成立し、現在の科学技術と研究活動の発展と隆盛をみている。しかし現状にあっては、ともするとこの『境界条件』は近代科学研究の端緒を開くための暫定的仮説に過ぎなかったことが忘れられ、要素を再統合して全体を理解するという究極の目標に迫る活動を阻害する。多臓器円環研究は、現状の『境界条件』の中で精緻化される知見を活かしつつ、それらの相互作用を横断的に総合することによって生まれる新たな生体の時空横断的なダイナミクスの理解を目指す、近未来の新しい科学を提案するものである。このような歴史/世界認識のなかにあって、いま我が国の医学/生物学研究コミュニティーの果たすべき役割は何か? 現在われわれが直面している新しい大挑戦は、全体から要素への還元ではなく、各要素の統合の中から高次の階層における新概念の創発に期待するものである。西洋に起源する近代自然科学の最先端を突き詰めると、還元された諸要素の多様性や多義性が鍵を握ることが再認識され、東洋的な全体論的な思想との有効な統合が不可欠になった。日本文化に根源的に内在する、東西の学問を融合しつつ自然界の事象全般を包含する考え方が、この新転回に大きく貢献するものと考えられる。日本社会のもう一つの世界に類を見ない特徴は、総体としての個々人を尊重する医療思想と高齢化社会にある。多臓器円環研究によって、健康/病気を生体機能の単なる正常と異常の対立ではなく、人体の誕生から死に至る動的な個人的総体としての病態概念の転換が図られ、高齢者医療における人生の価値に対する考え方やひいては社会構造に対する概念転換がひきおこされて、将来に亘る健康的で持続可能な体制を構築することが期待できよう。我が国の医学/生物学は、多臓器円環の新しい科学概念を融合的に統合しつつ東西の世界観の刷新を図り、新たな『人間生物学』を創成し、近未来の健康的で持続可能な世界人類社会を打ち立てることに貢献すべき、絶好の位置に置かれているといえるのではないか。
2A-JSN/JNSS-2
臓器間神経ネットワークによる個体レベルでの糖・エネルギー・脂質代謝制御機構
片桐 秀樹
東北大院・医・糖尿病代謝内科学

ヒトを初めとする多臓器生物において、全身の各臓器・組織の糖・エネルギー代謝は、それぞれ個別・無関係に行われているのではなく、個体として最適の動的平衡が保てるよう、臓器間で密接に連関し協調して調節されていると想定される。このような個体レベルでの代謝調節には臓器間での代謝情報のやり取りが必須であると考えられるが、その機序については不明な点が多い。我々は、このような個体レベルでの代謝恒常性維持機構の解明を目指して研究を進め、この臓器間連携に神経ネットワークが重要な役割を果たしていることを見出した。特に肝臓からは、代謝の変化に応じてさまざまな情報が求心性神経を通じて伝えられ、最終的に膵β細胞や白色・褐色脂肪組織などの各臓器において、状況に応じた代謝応答が誘導される。その結果、膵β細胞量・基礎代謝・エネルギー蓄積・脂肪分解などが惹起され、個体レベルでの恒常性維持につながっていることが明らかとなった。
求心性神経シグナルの関与はとりもなおさず、中枢神経系の関与を意味する。つまり、脳は、末梢神経系というMetabolic Information Highwaysを活用して、随時、末梢組織での代謝状態を把握し、指揮者として、協調的な代謝調節を統御しているという図式が考えられ、各臓器に指令を出して、個体レベルでの協調的な代謝統御を行うことで、最適の動的平衡を実現していると考えられる。さらに、これらの臓器間神経ネットワークシステムは、肥満の際の血圧上昇、高インスリン血症、脂質異常症、さらには肥満自体の促進といったメタボリックシンドロームの諸病態にも関与していることが明らかとなりつつある。つまり、このような恒常性維持機構は、その破綻だけではなく、慢性的に持続する活性化が疾患発症につながること、つまり、過栄養に対する防御反応の継続自体が代謝疾患発症の一因となっていることも明らかとなってきた。一方で、これらの臓器間神経ネットワークを制御することは、食欲・エネルギー消費・膵β細胞の再生などを調節することにつながる可能性を包含し、肥満や糖尿病、さらにはメタボリックシンドローム(高血圧・脂質異常症など)の治療にもつながる可能性が考えられる。これらの知見を踏まえ、本講演では、神経による代謝情報の臓器連関機構を中心に、その生物学的・医学的意義について議論したい。
2A-JSN/JNSS-3
もう一つの神経形成:Secondary Neurulation
高橋 淑子
京都大学・院理・動物

 「しっぽ(尻尾)」は、脊椎動物をもっとも特徴づける形質のひとつである(ヒトを含む類人猿も、胎児のときは立派な尻尾をもっている)。尻尾における神経系の形成過程に注目すると、それが「Secondary Neurulation(SN:日本語訳は無い)」と呼ばれるプロセスによって作られるなど、胴体の神経系形成とは大きく異なることに気付く。本シンポジウムでは、SN過程でみられる特徴的な細胞挙動とその制御機構について、我々の最近の研究について紹介する。SN過程では、まず間充織細胞であるSN前駆体が出現し、次にそれらの上皮化を経て、最終的に神経管が出来上がる(Mesenchymal to Epithelial Transition:MET)。またSN前駆細胞が、幹細胞として振る舞うことがみえてきた。つまりSN前駆細胞は自己複製しつつ、同時に神経管上皮へと分化する。これらの制御には、転写因子Sox2が深く関与する。加えて、SNによって作られる神経管/脊髄が、体後部(下部)において副交感神経系ネットワークの鍵を握ることを紹介する。ヒトは外見上の尻尾をもたないために、SNによって作られる後部神経系への意識が低いが、SN神経管とそれによるネットワーク制御の解明が、後腸や生殖器、そして排出系臓器の生理機能とその破綻の仕組みの理解につながると期待できる。
2A-JSN/JNSS-4
「多臓器円環研究」の哲学と神経疾患
和田 圭司
精神・神経医療研究センター

多臓器円環研究がもたらす今後の疾患予防、疾患治療の革新について、神経疾患を中心に議論する。神経疾患はこれまで神経細胞を中心に「脳の中」の現象を見る研究が行われてきた。治療法開発についても「脳の中」の変化を念頭においた取り組みが歴史的に続いてきた。しかし、「脳の中」だけを見ていたのでは発症メカニズムの解明に至らず、また有効な予防・治療法の開発に至らないことは広く認識されるようになってきている。たとえば、認知症の危険因子として糖尿病が注目されているように、また、腸内細菌叢と神経疾患の関連が注目を浴びているように、代謝や免疫など「脳の外」の出来事が実は神経疾患発症において重要な生物学的意義を持つことが自明になりつつある。昨今のprionoid spreading仮説、エクソソーム仮説も脳外環境の重要性を指摘するものである。これからの神経疾患研究は、脳、環境、他臓器というキーワードをもとに、神経疾患を多臓器円環のシステム性疾患として構築し直し、ネットワーク障害として捉え直すことが要求される。
環境・脳・臓器間ネットワークの重要性は、また神経疾患の発症についても一石を投じる。末梢性変化が脳内変化に先行するような状況においては、発症の定義も異なってくるであろうし、診断基準についても見直しが迫られるであろう。治療法開発については、創薬を中心とした動きが盛んであるが、現状は「脳の中」の標的分子を対象としていることがほとんどである。環境・脳・臓器間ネットワークにもとづけば、従来型の治療薬開発が功を奏しない可能性も当然考えられることになり、新たな発想が求められることになる。昨今流行のバイオマーカー探索についても何をもってバイオマーカーとするかという根本的なところから議論をする必要が生じるであろう。多臓器円環の概念は創薬志向に基づく薬効評価型のバイオマーカー開発にも影響を与える。
何よりも重要なことは、予防の概念改革であろう。多臓器円環システムの考えに基づけば、個々の標的、病的変化に対して予防を図るというよりも総体としてのシステム調和がより重要となる。これはとりもなおさず、個体としての活動の中で予防を考えるということに他ならない。英国で認知症の有病率が低下したという報告があるが、多臓器円環研究の目指す予防の一例でもある。
個体としての活動、つまり個々人の日常生活は個人の人生観、哲学感を反映したものであることから、健康に対する価値尺度も変化を要求されるようになる。多臓器円環研究の浸透は人間というものを見直すきっかけにもなるであろう。