神経化学トピックス

神経化学のトピックを一般の方にもわかりやすくご紹介します。
※なお、目次記載の所属は執筆当時の所属となっております。

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1. 神経細胞は本当に増殖しないのか?
  味岡逸樹
  (Department of Developmental Neurobiology, St. Jude Children’s Research Hospital, Memphis, TN, U.S.A.)

神経化学トピックス-1

神経細胞は本当に増殖しないのか?

Ajioka et al. (2007) Differentiated Horizontal Interneurons Clonally Expand to Form Metastatic Retinoblastoma in Mice, Cell 131, 378-390

DOI 10.11481/topics1
 登録日:2017年2月9日

私たちの脳を構成する神経細胞は、発生時期に神経系前駆細胞から産み出され、分化を終えるとそれ以降は増殖しないと考えられています。神経解剖学の創始者と言われるRamon y Cajal(1906年ノーベル賞受賞者)は、ゴルジ染色などの手法を用いた形態学的な観察から、分化した神経細胞は再生しないと記述し(1)、現在でもそのように考えられています。しかしながら、神経細胞は増殖能を失ってしまったのか、あるいは、増殖しうるのかどうかに関しては、長く謎に包まれていました。

神経細胞に限らず、細胞の増殖と分化は互いに相容れない関係にあり、増殖する細胞は未分化な細胞だと考えられています。私たちの体で分化した細胞の数を増やす必要がある場合、分化した細胞自身を増殖させるのではなく、未分化な細胞を増殖させて細胞の数を増やし、その後、分化プログラムを遂行させるというのが発生学の基本ルールになっています。悪性腫瘍は、この「細胞の増殖と分化のバランス」が破綻する疾患の代表として挙げられますが、癌細胞であっても未分化な細胞ほど増殖能が高く、分化した細胞は増殖能が低いというのが定説となっています(2)。

「細胞の増殖と分化のバランス」の制御には細胞周期の調節が重要ですが、私たちは、中枢神経系のモデルとしてよく研究されているマウス網膜を用い、中枢神経系における「細胞の増殖と分化のバランス」の解明に取り組んでいます。細胞周期制御の中心的役割を担うRbファミリーは癌抑制遺伝子であり、細胞周期進行を抑制する機能を持っています。私たち哺乳類では、RbファミリーはRb1、p107、p130 の3つで構成されていますが、それぞれの因子を2アリルずつ持つので、合計6アリルのRbファミリーを持っていることになります。

本論文では、マウス網膜で特異的にRbファミリーの5アリルを欠損させ、Rbファミリーを1アリルのみ持つマウスを作成し、個々のRbファミリーの役割を解析しました。その中で、p107 を1アリルだけ持つマウス(「p107-single」マウスと呼んでいます)では、興味深いことに、網膜の抑制性神経細胞の1つである水平細胞の数が特異的に増加し、神経細胞に特徴的なシナプスや神経突起を維持したまま増殖を繰り返しました(図)。さらに、増殖を続けた水平細胞は、神経細胞の特徴を維持したまま腫瘍を形成し、最終的には網膜の外へと転移しました。これらの結果から、分化を終えた神経細胞が増殖しうることが判明し、分化度の高い水平細胞が悪性度の高い癌細胞として振る舞うことが判明しました。

私自身は2001年より神経発生学の領域で研究を進めていますが、本研究は、分化した神経細胞が増殖しうることを示しただけでなく、癌生物学の常識である「未分化な細胞ほど悪性度が高い」という概念にも疑問を投げかける、学際的な研究成果としても紹介していただきました(3)。また、近年、生体が本来持つ組織修復能力を利用した再生医療が注目を浴びていますが、分化した神経細胞が増殖しうるという事実は、応用研究分野に対しても様々なアイデアを提供できることになるでしょう(4)。

本研究は、St. Jude Children’s Research HospitalのMichael Dyer研究室で行われたものです。なお、Dyer研究室の紹介を「実験医学」誌に掲載させていただきました(5)。また、研究者向けの本論文紹介も「実験医学」誌に掲載される予定です。

参考文献
  1. Cajal, S.R. (1913-1914): Estudios sobre la degeneración y regeneración del sistema nervioso (Madrid: Moya)
  2. Weinberg, R.A. (2006): The Biology of Cancer (London: Garland Science)
  3. Riele, H (2007): Cell 131, 227-229
  4. 味岡逸樹、仲嶋一範 (2006):再生医療, 5: 476-482
  5. 味岡逸樹 (2007):実験医学, 25, 1748-1750

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