特別寄稿

会員からの特別寄稿を掲載しております。
※なお、目次記載の所属は執筆当時の所属となっております。

私と神経化学

   私の研究歴、学会との関わりと学会への期待

 


佐武 明 (Mei SATAKE)
長岡療育園顧問
新潟大学名誉教授
国際神経化学会名誉会員

日本神経化学会名誉会員




私の研究歴:
 私は、東北大学医学部を1953年に卒業し、一年間のインターン、同医学部医化学研究室での5年間の大学院の後1959年から新潟大学医学部脳外科研究施設(現新潟大学脳研究所)で脳の化学的研究(神経化学)を開始し、1995年に36年間の脳研究活動を終えました。大学院での研究課題は高分子酸性多糖体の構造の研究で、脳の研究とはかなり離れたものでしたが、滞米中の研究課題であったタンパク質構造の研究と共に、化学研究の終点の一つである「構造を決める」ことに役立ったと思っています。又、インターンの一年間は短い期間でしたが、患者さんと接し病気・病理を体で感じることが出来ました。特に印象に残っているのは精神科に配属された時、後年非難を浴びることになる大脳皮質の手術、ロボトミーの手術を身近で見学し、患者と術者が対話しながら手術が進行してゆくのを見て鳥肌が立つ思いがしたことを思いだします。この経験などから精神病、特に統合失調症の病因解明・治療を生涯の研究目標と定めましたが強力な反対にあい、大学院での高分子多糖体類の構造の研究を5年間続けた後、精神医学研究の場を求め、臆面も無く偉い先生方を訪ねて、ご意見をお伺いしたことを思い出します。結局精神科教室での研究を諦め、当時新設されたばかりの新潟大学医学部脳外科研究施設の神経化学部門の一員として脳の研究を始めました。

 私の最初の研究は緒方規矩雄教授の指導によるラット脳に於けるタンパク質の生合成の研究でした。一区切りついたところで、2年間ボストンでタンパク質構造の研究を、その後3ヶ月間スウェーデンのHolger Hydén教授から、神経細胞(正確には神経細胞体)一個の分離・分析法を学び、帰国後は動物の脳から多数の神経細胞体を分離分析する方法の開発実験を開始し、化学組成とくに脂質構成を明らかにし、当時神経の興奮に必要とされていたガングリオシドが存在しない事を明らかにしました。更に、細胞分離に伴う細胞膜の損傷の可能性を除外する目的で下等動物アメフラシの神経組織を丸ごと分析し、ガングリオシドは神経の興奮伝導には関係が無いことを明らかにしました。更に、アメフラシの神経組織に多数の、燐と炭素が直結した糖脂質を見つけ、うち9種の構造を決め、それらのタンパク質リン酸化酵素活性を調べ宮本英七先生と共同で報告しました。以上の結果の大部分は玉井洋一、駒井裕一、阿部幸子、荒木恵子諸氏及び安藤進博士との共同実験で得られたものです。1)

私と日本神経化学会:
 
私が本学会に参加したのは未だ「神経化学懇話会」の時代で、確か第三回目からと思います。日本神経化学会の歴史は塚田裕三先生著、「日本神経化学会20年の歩み」に詳しいのですが、先生も望んでおられたように、それ以後の正史を是非、誰か作ることを望みます。先生の書かれた物の中に「神経化学研究の草創期」の項がありますが、私が敢えて付け加えるならば、先生が書かれているように精神病の原因を脳の化学的変調に求めた研究は戦前から東大、岡山大、九大などで精神医学者達により始められていたとの事ですが、後に「神経化学懇話会」への流れの元となったのは昭和23年の林道倫教授を長とする厚生省研究班「精神分裂病の生物学的研究」、昭和27年中侑三教授の文部省研究班「神経系の組織と機能に関する科学的研究」と昭和35年塚田裕三教授の文部省研究班「中枢神経機能の生化学的研究」で、この中の林教授の班研究が塚田先生の記載から漏れていると思います。2) 

 扨(さて)、私が参加した当時の学会(懇話会)の印象は、演題採択率が50%、発表時間10分、討論時間10~15分、一会場制の誠に厳しい学会、討論会であることと、有名な「墓石論争」が毎年繰り返されていたことです。「墓石論争」とは統合失調症の病因解明を目的とする二つのグループ間での長期にわたる論争で、臺弘先生のグループはヒロポン(メタアンフェタミン)中毒患者の症状が統合失調症患者の陰性症状に似ているとして、ヒロポン中毒動物の研究を根気強く長年続けて来られたのを、佐野勇先生のグループは「ヒロポン中毒の中毒」と揶揄し、これを受けて臺先生は佐野グループの研究は事実として残るかもしれないが「墓石の碑銘」にすぎず統合失調症の解明には意味が無いとして抵抗しておられた。この論争は少々馴れ合いの感があったが、私には精神医学の研究の方向を示唆するものでとても参考になった。私が残念に思うのは佐野、柿本グループが脳ペプチドの研究を更に発展させ、例えば分離したペプチドの薬理作用を調べていれば素晴らしい成果を上げていたであろう事です。その他、神経化学研究、および神経化学会に関係して、強く印象に残っているのは、垣内史朗教授のカルモジュリン依存性タンパク質リン酸化酵素の研究と沼正作教授のNa+チャネルタンパク質同定の研究です。それらの研究の質に加えて、垣内先生がご自分の研究について私に相談に来られた事、沼先生の報告で、チャネルタンパク質の単離を始めていた私はとても落胆した事を覚えています。

 扨、私の学会への直接の貢献の一つは第19回日本神経化学会を高橋康夫教授と共同で開催したことで、会の運営は殆ど高橋先生と教室の方々にやって頂きました。悔やまれるのは参加者が多く、分散会場になってしまったことです。二つ目の貢献は文部省(現文部科学省)科学研究費に新しい細目、「神経化学・神経薬理」が1993年に設けられた事です。当時若手研究者であった笠井久隆、高坂新一、小宮義璋、熊倉鴻之助の諸先生とともに数年間文部省で調査したことを想いだします。三番目の貢献は学会の後押し、黒川正則、宮本英七、加藤尚彦、三教授の助けを借りて1988年から3年間文部省重点領域研究「神経回路形成の分子機構」を開催し、神経化学会員の他多くの理系研究者と合同で時間をとり討議する事が出来た事です。この重点領域研究はその後の神経化学、神経科学の発展に貢献したと思っています。3)

日本神経化学会に望むこと:
(1)セミナーの活用:現在すでに行われているかもしれませんが、往年の“講演10分、討論10~15分”の精神を活かした深く討論する機会(セミナー)を作ることです。演者には学会員以外の方にもお願いする事。それから、このセミナーで是非精神疾患、特に統合失調症の研究を取り上げて欲しい事です。
(2)共同研究の勧め:現在の我が国の研究環境は、遠くを見据えた研究への人員と研究費の配分は減らされつつあると聞いています。今後個々の研究室では研究単位を形成出来なくなることも考えられますし、これからの神経系統の研究では、大きな共同研究組織を必要とする研究が増えると思っています。

 最後になりますが、本会会員からの素晴らしい研究成果を期待しています。

1) Satake, M. and Miyamoto, E. (2012): A group of glycosphingolipids found in an invertebrate: Their structures and biological significance. Proc. Jpn. Acad. Sci., Ser. B 88, 509-517. https://doi.org/10.2183/pjab.88.509
2) 塚田裕三、日本神経化学会20年の歩み. 蛋白質核酸酵素 臨時増刊「神経化学」(1977).
3) The Molecular Basis of Neuronal Connectivity, eds. Satake, M., Obata, K., Hatanaka, H., Miyamoto, E. and Okuyama, T., Hokko-Do, Niigata, Japan, 1997.

(2020年9月原稿受領)