委員長だより(脳研究推進委員会)
脳研究推進委員会の委員長を拝命しております理化学研究所の林(高木)朗子です。本年度は、副委員長として池中健介先生をお迎えし、芝田晋介先生、七田崇先生、津田誠先生、尾藤晴彦先生という(五十音順)、第一線でご活躍の先生方にご参画いただいております。
「本当に大切な研究とは何でしょうか。」
本年度、脳研究推進委員会の活動の一環として、文部科学省のロードマップの申請準備に関わる中で、この問いに何度も立ち返ることになりました。日本脳科学関連学会連合を中心として検討されているロードマップ申請は、仮に採択されれば、10年規模・数百億円規模という極めて大きなプロジェクトとなります。その中核に据えられているのは、オルガノイド/アセンブロイド/コネクトイドを基盤とした神経生物学と、AI・デジタルツインといった情報科学の融合です。「創ることで脳を理解する」という構想のもと、ヒト由来細胞から構築された神経系モデルと大規模データ、さらにはAIを統合することで、脳機能の理解とその応用を加速しようとするものです。この方向性は、我が国の脳科学の国際的競争力を高め、医療や情報技術への展開を視野に入れた、非常に野心的で魅力的な挑戦であり、その重要性は論を俟ちません。一方で、この構想を具体化していく過程では、もう一つの問いが浮かび上がってきます。すなわち、「私たちは何をもって脳を理解したと言えるのか」という問いです。オルガノイドやAIを用いて脳らしきものの機能を一部再現し、予測することが可能になりつつある今、それは“理解”なのでしょうか。それとも、理解へ至るための強力な手段の一つなのでしょうか。
本学会のフラッグシッププロジェクトは、「グリア」「iPS細胞」「リバース・トランスレーショナル研究」を柱とし、「分子」「グリア」「病態」をキーワードとして展開してきました。しかし今回のロードマップ申請においては、構想を明確にするため、「病態」は前面には出さないという方針が共有されています。また、提案をシャープに保つためには、要素を絞り込むべきであり、総花的な構成は避けるべきであるという考え方があります。こうした議論は極めて合理的であり、私自身もその重要性を強く認識しています。その一方で、同時に立ち止まって考え続ける必要があるとも感じています。例えば、iPS細胞を用いたオルガノイド研究において、私たちはその“形”や“構造”のみならず、“機能”をどこまで理解できているでしょうか。オルガノイドはどのような入力を受け、どのような原理やアルゴリズムに基づいて情報を処理し、どのような出力を生み出すのでしょうか。また、神経系を語る際にニューロンのみを切り出すことはできず、グリアや血管を含めた系としての相互作用こそが脳の本質に深く関わっていることは広く共有されている認識です。こうした要素をどのように統合的に取り込んでいくかは、今後の重要な課題と考えられます。これらの問いは、決して構想の焦点を曖昧にするものではなく、むしろその基盤をより強固にするための問いであると考えています。オルガノイドを中心とした研究の発展と、AIをはじめとする情報科学の進展は、脳科学に新たな地平をもたらしています。その流れを尊重しつつ、iPS細胞を用いた生理機能の理解や、グリア・血管を含むより生体に近いモデルの構築といった視点をどのように位置づけていくかは、本学会にとって極めて重要な論点です。
今回のロードマップは、単に大型予算を獲得するための枠組みにとどまらず、これからの10年の脳科学の方向性を規定するものでもあります。その中で、先端的なアプローチを推進することと、これまで積み重ねられてきた基盤的理解をいかに統合していくか。このバランスをどのように取るかは、決して容易な問題ではありません。このようなプロセスに関わる中で、委員会では「本当に大切な研究とは何か」という問いに改めて向き合うことになりました。効率やインパクトが強く求められる現代においても、生命現象の本質に迫ろうとする地道な研究、そして異なる視点を持つ研究が共存することの重要性は、むしろ増しているように感じます。脳科学の未来は、一つの方法論だけで切り拓かれるものではなく、多様なアプローチが相互に影響し合う中で形作られていくものと思います。本委員会の活動が、そのような議論の一助となれば幸いです。会員の皆様におかれましても、ぜひこの問いについてそれぞれのお立場からお考えいただき、ご意見やアイデアを共有していただければと思います。今後、皆様とこうした議論を深めていけることを心より楽しみにしております。
脳研究推進委員会委員長
林(高木)朗子

