50. 自閉スペクトラム症を誘発する胎生後期のシグナル伝達異常
はじめに
自閉スペクトラム症(ASD)は「社会的コミュニケーションの障害」と「行動や興味の偏り」を中核症状とする神経発達症です。有病率は1〜2%ですが、近年はさらに増加傾向にあります。2〜3歳頃の幼少期にASDの特徴が現れると、基本的には一生涯完治することはないとされています。中核症状を治療できる薬はないため、療育や教育を通じた社会生活への適応支援が中心となっています。
これまでに遺伝子の異変とASDの発症との因果関係が報告されていることから、ASD症例の多くが遺伝によるものと考えられています。他にも、妊娠中のウイルスや細菌への感染、特定の薬の服用などの環境的な影響がASDの発症に関係があることが報告されています1)。しかし現状では単独でASDを発症させる因子はよくわかっていません。また、遺伝要素と環境要素が重なって複合的に発症に関与しているという報告もあります 2)。いずれにしても、胎児期から新生児期にかけての脳の発達時に起こる何かが原因であると考えられ、この過程で生じているASDの脳で共通の現象を明らかにすることは、普遍的な発症の原理を解明する上で極めて重要となります。
これまでにわかってきた様々なASDの遺伝的要因や環境的要因の情報に基づいて、ヒトのASDに類似した行動を示すマウス(ASDモデルマウス)が作られてきました。特に環境的要因により発症するASDモデルマウスとして作製された、てんかん治療薬のバルプロ酸などの曝露を母体内で受けてきたマウス3)は、汎用的なASDモデルとして使われています。本研究では、ASDの発症に関連する遺伝子変異を導入したヒトの幹細胞などのASD細胞モデル4,5)を含め、多様なモデルシステムを用いてASD発症に共通する分子病態の一端を明らかにしました6)。
1.ASDモデルに共通する胎生期のNotchシグナルの活性化
Notchシグナル伝達系は、脳の発生期に神経前駆細胞から神経細胞へ分化するか、しないかの運命決定に重要な役割を果たすことが知られています7)。解析したASDモデルマウスの胎生期の脳やASD細胞モデルの一部では、このNotchシグナル伝達系の遺伝子群の発現が増加していることがわかりました。一方で、成長したASDモデルマウスの脳の大脳皮質では、Vasoactive intestinal peptide(VIP)陽性の抑制性神経細胞(VIP-INs)という種類の細胞が減少していました。また、Notchシグナルを発現変動させると特にこのVIP-INsの細胞数が変動したことから、胎生期のASDモデルで見られるNotchシグナル活性の増加が、選択的にVIP-INsへの分化を抑制していることが示唆されました。さらに、これによって大脳皮質の機能の一部が破綻し、マウスにおいてヒトのASDに類似した行動変化が生じることを見出しました。以上のことから、Notchシグナルの活性化がASDで共通する胎生期の病態変化であることが示唆されました。
2.Notchシグナルの阻害剤はASDの症状を改善する
Notchシグナル伝達系は多くの生物種で保存されている普遍的な発生シグナルであるため、その活性に異常が起こると広範な細胞集団に影響を及ぼすことが予想されます。実際に、ASD モデルマウスでは細胞系譜(細胞の家系図のようなもの)に変化が認められました。そこで薬剤を使ってNotch活性を阻害し、その効果を検証しました。Notch活性型であるICN(NotchのC末端断片)の産生を効率的に抑制するγ セクレターゼ阻害剤を胎生後期に一回投与することで細胞系譜の乱れが回復したことから、ASDモデルマウスではNotchシグナルの過剰な活性化を起点として、VIP-INsを含む様々な種類の細胞集団に発生学的な異常が起こっていることが示唆されました。さらに、阻害剤投与はヒトASDの中核症状である「社会的コミュニケーションの障害」と「行動や興味の偏り」に相当するマウスのASD行動(社会性行動の異常と常同行動)に劇的な改善効果を示しました。
3.VIP-INsでのNotchシグナルの活性化が社会性行動の異常を引き起こす
大脳皮質に存在するVIP-INsは、脳内の神経細胞間ネットワークの調整や上位皮質入力の制御などの高次的な脳機能を維持するのに不可欠な役割を担うことが知られています8)。そこでVIP-INsに選択的にNotchシグナルが欠損するマウスを使ってASD行動への影響を検証しました。その結果、このNotch欠損マウスを用いて作製したASDモデルではVIP-IN回路が正常化して社会性行動が改善する一方で、常同行動の改善は認められませんでした。このことから、ASDモデルマウスで見られる社会性行動の異常の主な原因の一つが大脳皮質のVIP-IN回路の障害であること、これは発生時期のVIP-INsでのNotchシグナルの活性化が元になっていることが明らかとなりました。一方で、常同行動はNotchシグナルが関与する別の細胞群の発生異常から生じると考えられました。

まとめ
本研究ではASDモデルの胎生期に着目して、その共通する分子病態としてNotchシグナル伝達系の過剰な活性化を明らかにしました。また、標的とする細胞へ選択的に遺伝子を欠損させる、あるいは薬剤を投与することによるNotchシグナルの活性調節が、神経系細胞の細胞系譜や神経回路の異常、マウスのASD行動を改善したことから、発生期に起こるNotchシグナルの異変がASD発症の重要な分子基盤であることを示しました。このように選択的にNotchシグナルを調節することが、今後ASDの発達遅延や症状に対する治療標的となりうることが期待されます。
開示すべき利益相反はありません。
引用
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- Tremblay R., Lee S., Ruby B. GABAergic interneurons in the neocortex : From cellular properties to circuits. Neuron 91 (2), 260-292. doi: 10.1016/j.neuron.2016.06.033 (2016).
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