51. 脳の領域を決定づける「一次繊毛」の操作
はじめに
私たちの脳では、ものを考えたり、感じたり、体の動きを調節したりする働きを、それぞれ異なる領域が担っています。こうした脳の領域ごとの違いは、発生の過程で少しずつできていきます。発生の初期には、将来、脳や脊髄になるもとの構造がつくられ、その前方部分から大脳のもとになる「終脳」が生まれます。終脳は、のちに思考や感覚、運動に関わる大脳皮質や、運動や行動の調節に関わる大脳基底核などを生み出す出発点です。この過程で中心的な役割を担うのが、神経細胞を生み出すもとになる神経幹細胞です。神経幹細胞は周囲からの情報を受け取りながら、背側では将来の大脳皮質につながる性質を、腹側では将来の大脳基底核につながる性質を獲得していきます(図1)。このように、神経幹細胞が場所に応じた性質を獲得することは、脳の形や働きがつくられるうえで重要です。


この領域づくりに重要なシグナルの一つが、ソニックヘッジホッグ(SHH)です1)。SHHは、神経幹細胞に腹側の性質を与えるシグナルです。神経幹細胞がSHHをどこで受け取り、どのように細胞内へ伝えるのかを理解することは、脳領域の形成を理解するために重要です。本研究では、SHHシグナルを受け取る場として、神経幹細胞の表面にある「一次繊毛」に着目しました。一次繊毛は、細胞から1本だけ伸びる細い突起で、外からの情報を受け取るアンテナのように働きます。SHHシグナルも、この一次繊毛を介して神経幹細胞に伝わると考えられています2)。しかし、ヒト神経幹細胞において、一次繊毛がSHHシグナルをどのように調節し、背側・腹側の性質づくりを制御するのかは十分にわかっていませんでした。
そこで本研究では、ヒトの脳発生を試験管内で再現する三次元培養モデル「脳オルガノイド」を用いて、この問題に取り組みました。その結果、神経幹細胞の一次繊毛がSHHシグナルの伝わり方を調節し、終脳オルガノイドにおける背側・腹側の領域づくりを制御することを明らかにしました。
1.神経幹細胞の一次繊毛にはどのような分子があるのか
本研究では、ヒトiPS細胞から作製した終脳オルガノイドを用いて、神経幹細胞の一次繊毛にどのような分子が存在するのかを調べました3)。その結果、一次繊毛には、アンテナとして機能するための受容体や、細胞内のシグナル伝達に関わる分子が多く集まっていることがわかりました。これは、一次繊毛が外からの情報を受け取るだけでなく、その情報を細胞内へ伝えるための場として働いている可能性を示しています。
2.一次繊毛の異常が神経幹細胞の性質を変える
一次繊毛に存在するタンパク質を解析した結果、ARL13Bがヒト神経幹細胞の一次繊毛に存在することを確認しました。ARL13Bは一次繊毛の形成や機能に重要な分子として知られていますが、ヒト神経幹細胞でどのような役割をもつのかは十分にわかっていませんでした。そこで、ARL13Bを欠損させた終脳オルガノイドを作製して解析したところ、神経幹細胞の一次繊毛の形に異常が生じました。さらに、背側の性質をもつ神経幹細胞が減少し、腹側の性質をもつ神経幹細胞が増加しました(図2)。この原因を調べると、ARL13Bを欠損した一次繊毛では、SHHシグナルを抑えるGPR161が減少していました。つまり、ARL13Bが失われると一次繊毛内のGPR161が減り、SHHシグナルにブレーキがかかりにくくなると考えられました。GPR161を欠損させた終脳オルガノイドでもSHHシグナルが高まり、ARL13B欠損と同じように、背側の神経幹細胞が減少し、腹側の神経幹細胞が増加しました。これらの結果から、ARL13Bは一次繊毛内にGPR161を保つことでSHHシグナルを抑え、神経幹細胞が過剰に腹側化するのを防いでいると考えられます。
3.一次繊毛シグナルを光や化学物質で操作する
GPR161は、cAMPと呼ばれる細胞内シグナルを介してSHHシグナルを抑えることが知られています4)。そこで本研究では、GPR161が失われた神経幹細胞でcAMPを増やすことで、腹側に傾いた性質を背側に戻せるのではないかと考えました。この仮説を検証するため、光でタンパク質の働きを制御する「光遺伝学」という手法を用いました。光照射によって一次繊毛の中でcAMPを増やすと、GPR161の欠損によって腹側化していた神経幹細胞の性質を、背側に近い状態へ戻すことができました。これは、一次繊毛のcAMPシグナルが、神経幹細胞の性質を調節するうえで大切であることを示しています。さらに、化学物質を用いてGPR161を一次繊毛の外へ排出させる実験も行いました。その結果、GPR161が一次繊毛から減少すると、神経幹細胞は腹側の性質を示すようになりました。つまり、GPR161が一次繊毛にとどまっていること自体が、背側の性質を保つために必要であることがわかりました。


まとめ
本研究により、一次繊毛内のシグナルを操作することで、一次繊毛がSHHシグナルを介して神経幹細胞の背側・腹側の性質を制御する場として働くことを示しました。一次繊毛の異常は、繊毛病や脳の発生異常と関連することが知られています。本研究の成果は、脳の発達異常が起こる仕組みを理解する手がかりとなり、ヒト脳が領域ごとの特徴を獲得する仕組みの解明にもつながると考えられます。
利益相反
嶋田逸誠は背側脳オルガノイド作製法の特許を出願しました。
引用
- G. Le Dréau, E. Martí, Dorsal-ventral patterning of the neural tube: A tale of three signals. Dev. Neurobiol. 72, 1471-1481 (2012).
- K. I. Hilgendorf, B. R. Myers, J. F. Reiter, Emerging mechanistic understanding of cilia function in cellular signalling. 25, 555–573 (2024).
- I. S. Shimada, A. Goto, Y. Hashimoto, H. Inoue, T. Sugawara, T. Doura, T. Fujita, T. Iwata, R. Shimmoto, H. Takase, M. Itoh, S. Kiyonaka, Y. Kato, Light- and chemical-induced ciliary signaling governs dorsal/ventral regionalization of human telencephalic organoids. Nat. Commun., doi: 10.1038/s41467-026-73505-2 (2026).
- S. Mukhopadhyay, X. Wen, N. Ratti, A. Loktev, L. Rangell, S. J. Scales, P. K. Jackson, The ciliary G-protein-coupled receptor Gpr161 negatively regulates the sonic hedgehog pathway via cAMP signaling. Cell 152, 210–223 (2013).
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